安部敏樹に妻はおらず未婚の可能性が高い…壮絶な生い立ちもまとめた!

安部敏樹さんアイキャッチ画像

実業家安部敏樹(あべとしき)さん。

安部敏樹さんプロフィール画像
出典:https://note.com/tonymjapan/n/n617e87db3b69

21歳で「一般社団法人リディラバ」を立ち上げ、「フォーブスが選ぶアジアの若手社会起業家」に選出。ワイドショーでの過激な発言も、常に話題となっています。

今回は安部敏樹に妻はおらず未婚の可能性が高い…壮絶な生い立ちもまとめた!

という事で、安部敏樹さんの結婚や子供、生い立ちについて情報をまとめました。

目次

安部敏樹は結婚してる?

安部敏樹さんは2025年7月7日に38歳を迎えます。

一般的には結婚していても不思議はない年齢ですが…

まずは安倍俊樹さんの結婚についてわかっている情報を見ていきましょう。

安部敏樹は結婚してる?

安部敏樹は、独身の可能性が高い

安部敏樹さんの結婚に関する情報や発表は、みつかりませんでした。

そのため、独身である可能性は高いと思われます。

2017年のインタビューで

出産や子育ても自分の人生の中でいずれあるかもしれないけれど、今はその時期ではないから当事者意識がない

とコメントしている部分がありました。

一般的な意見かもしれませんが、自分もそこに含まれている…といった様子でしたね。

あとは、2019年のXの投稿で自身の失恋話を投稿しています。

安部敏樹さんフラれたコメント
出典:https://x.com/toshikiabe

「失恋で休講にする」という人間味ある告白も斬新ですが…

逆説的にとれば、失恋したことによって「やってやろう」という弾みがついているともいえる…のか?

そして、彼女から「ほかに付き合っている人がいて、その人と結婚する」告白をされてしまいます。

安部敏樹さん失恋話②
出典:https://x.com/toshikiabe

これだけあけすけに恋愛話をしているとなると、結婚すれば事後報告としてでもなにかしら漏れて来そうですよね。

同じくこの年のSNSで、「女子力の高い写真が撮れた」と海辺にロマンチックな画像を投稿。

ここでつづいて「独身男性が撮影いたしました」と表現しています。

安部敏樹さん映え写真の裏側
出典:https://x.com/toshikiabe

つまり、このことから

  • 2019年時点で結婚はしていない
  • おそらく独身である可能性が高いが、過去の交際事実から興味ないわけではない

ということがわかります。

実際に、「恋をするとどうなりますか?」と聞かれた安部敏樹さんは「難しいこと聞くね(笑)」としつつも

安部敏樹さん

恋はいいよね~…みっともない自分と向き合える楽しい作業だね

と、意外に「恋愛に影響される」タイプであることを想像されますね。

仮にそういうタイプであると仮定すると、バリバリ仕事をしている現在は「恋」をしていないのかな?…とも。

それは、

恋愛や結婚よりも、多忙な仕事に没頭する方に時間を割いているから

なのか

すでに(事実婚などの可能性もアリ)結婚しており、そういった時間を過ぎたから

なのか…なんらかのアクションが待たれますね!!

安部敏樹には子供がいる?

安部敏樹さんに子供はいるんでしょうか?

安部敏樹に子供はいる?

安部敏樹に子供はいません

安部敏樹さんに子供がいるという情報はありませんでした。

そもそも、未婚の可能性が高いわけですから一般的な考えでいえば当然でしょう。

もし、未婚・独身の状態でお子さんがいた場合は逆に「未婚・子持ち」であるなんらかのコメントをしそうです。

とはいえ、リディラバでは子供に関するプロジェクトを多くたちあげていますので関心はあると思います。

そして、安部敏樹さん自身、地域の小学生を対象にしたソフトボールチームの監督を7年以上務めているんです。

元気いっぱいのこどもから障がいのあるこどもまで、多くのこどもたちと接してきた安部さん。

親ではなく、教師でもない「監督」の立場で子どもたちと向き合うときに大切にしていることは

「怒るのではなく『どう思う?』と問いかける」というスタンス
・子どもの良い変化の見つけ方、褒め方

親たち、子どもたちとコミュニケーションを取る中で、「親子関係の改善」や「孤独解消」につながった体験もあるそうです。

大切にしていることをみると、基本的に「褒めて伸ばす」タイプの方なんでしょうか?

東大合格はゴールかスタートか

一時期、東大で授業を担当していた安部敏樹さん。

たくさんの東大生と関わってきた中で

  • 東大に入った時がピークの学生
  • 東大に入った時がスタートの学生

に分かれるな…と気づきがあったそうです。

日本最高位の学校に合格できるのですから、学力は両者ともに問題なし…ということはその差はなんなのか?

話しを聞いて得たことは

大学入学をスタートにできる学生は

高校時代に国連のサマースクールに行きました

毎年家族で海外旅行に行ってました

と、勉強以外にも豊かな体験を積み重ねている人が多かったそうです。

一方、入学がピークになってしまう学生は

ひたすら塾に通ってました

勉強以外にあんまり思い出は無いですね

と、勉強以外の体験が不足している人が多かったんだそう。

この結果から

10代までの体験が人の成長に大きく影響する

という考えにいきついた安部敏樹さんは、これを日本中のこどもにあてはめると、かなりの格差が生まれることに気付きます。

実際に、家庭環境が複雑だった安部敏樹さんは、周囲の悪い仲間から「家族と旅行に行く」様な話を聞いたことがなかったそうです。

これを「体験格差」として問題提起する活動を始めます。

安部敏樹さん体験格差プロジェクト
出典:https://journal.ridilover.jp/issues/895

このプロジェクトは

  • 一昔前には当たり前にあった「子供会」や「部活動」で得る体験(インフラ)の意義
  • 習い事に通えて、週滅に旅行へ行ける家庭(サービス)の子供だけが体験を積み重ねられる事実
  • 失われた平等に体験できる機会を、今のこどもたちに与えたい

というもので、そのため着目したのが「修学旅行」。

2012年から、中学校・高校の修学旅行に、社会課題の現場を訪れるスタディツアーを導入。

修学旅行で社会体験
出典:https://journal.ridilover.jp/issues/895

増えましたよね、修学旅行将来子供がなりたい職業の体験学習とのセット。

こういった活動が裏であったんですね…知らなかった!

それでも、経済的理由や、不登校といった事由で修学旅行に参加できない・しない子どももいます。

活動を続ける中で、もっと苦しい状況にいる、もっと体験を必要としている子どもたちに何かできないかと考え

①子どもたちに体験を提供して格差を解消しよう
→困難を抱えた子供たちを支援するNPOと協力して、子どもたちを非日常の場所に連れて行く

トライアル例として、1泊2日で中3~高3の子供達9人で新潟県へ。

  • 地域で開催される「大地の芸術祭」に参加
  • 世界各国のアート作品を観る
  • 地域のおじいちゃん・おばあちゃんと交流

参加者の半分の子どもは新幹線に乗ることすら初めてだったそうです。

②調査・研究
→体験の重要性を客観的に示す調査・研究が必要

子どもたちと関わるいろいろな現場から「子どもたちにとって体験が必要だ!」という声をあげています。

この現場の声を「子どもたちの体験には、こんな価値があります」と説得力ある調査・研究に昇華させ社会に訴えていく。

例えば、とある現場から「定時制高校で卒業旅行を実施した学年は、卒業率が高い」という話を聞く。

高校卒業と中退では、卒業後の進路やその先にある収入に大きな違いが生まれます。

仮説の研究として

卒業旅行を実施すれば卒業率がX%高まる→卒業と中退でおこる収入の差→結果、国に納める税金の額は比例して増加

という結果が出れば

卒業旅行に公的な支援を投入しましょう

というコミュニケーションの活路が見いだせるというわけ。

ところが、コロナ禍によって「失われた世代」という子どもたちができ、計画も足踏みしてしまう時期も。

安部敏樹さん

僕は大人の一員として、子どもたちの体験を奪ったままにしたくないし、大人の都合を子どもに押し付ける社会をつくりたくない

と、準備だけはきちんと進めてきた…という安部敏樹さん。

子どもたちの体験格差がなくなった社会「子どもが諦めなくていい社会」を目指しているといいます。

子どもたちが、社会に諦めを覚えて「世の中どうでもいいや」と思うのか、社会に希望を持って「自分も社会で活躍したい」と思うのかは、私たち大人に懸かっているんです。

多くの子ども達に向けた愛情、自分の子どもができたら、この上なくいいお父さんになりそうですね。

そして、こういった視点をもてるのは、ご自身の幼少期の壮絶な体験から来ているとも…。

おそらく今の活動の原点は、当時の幼かった自分にしてあげたかったことなのかもしれませんね。

安部敏樹の壮絶な生い立ちもまとめた!

安部敏樹は14歳の時、家庭内暴力が原因で勘当されていた

  • 17歳 漫画『ドラゴン桜』を読んで偏差値30台から東京大学に合格
  • 21歳 「一般社団法人リディラバ」を立ち上げる
  • 29歳 「フォーブスが選ぶアジアの若手社会起業家」に選出

と、華々しい経歴のように思える安部敏樹さん。

実は、その原動力は貧しく、壮絶な幼少時代にあるそうなのですが…

「夜逃げカバン」と一緒に眠る

安部敏樹さんの幼少期の家族構成は

・父親 会社経営・亭主関白
・母親
・弟(1歳下) 体が弱い・アレルギーもち
・妹(6歳下) 小学校低学年から不登校

となっています。

これがドラマの設定だったら、「この家族、なんかありそうだな」というニオイはしますね。

安部敏樹さん

僕の子ども時代はいい記憶がまるでない

とご本人が言っているように、結構しんどい幼少期を過ごしていらっしゃいます。

まず、もともと会社員だったお父さんが、安部敏樹さんが小学校低学年の頃起業し、失敗したようです。

それから借金取りに追われる日々で、大事なものをまとめた「夜逃げバッグ」を持たされていました

「夜逃げバッグ」
なにかあったらすぐ逃げられるように、自分の大事なものをまとめておくバッグ。
寝る時は枕元に置いておくよう、くどいほど言われていた。

安部敏樹さんが林間学校に行っている時は、

(家に)帰って来た時、誰もいなかったらここに連絡するように

と、祖母といとこの家の電話番号がかかれたメモをもたされていたそうです。

常に

  • なにかあったら夜逃げするから、祖母に連絡しろ
  • 上の二人はひとりで生きろ

と、お父さんには言われていたそうで、現在は穏やかなお父さんだそうですが、当時はそれどころではなかったんでしょうね。

なにからなにまで自分で背負わなければいけない自営業の大変さも、今なら安部敏樹さんにはわかるのでは?

そして、年子の弟さんは体が弱く、アレルギーもあったためお母さんは弟にかかりきり。

妹さんも幼い頃から不登校…と問題が多く、だんだん安部敏樹さんもスレた少年になっていきました…

安部敏樹さん

その頃の僕には、破滅願望みたいなものがありました。ケンカもそれなりに強かったんですが、それは自分の命なんてどうでも良かったから。

国立大付属の学校に行っていたものの、ほとんど不登校。

スカウトが来るくらい結構強かった野球チームの練習に行くのみで、家庭内暴力が日常的にあったそう。

父親も、安部敏樹さんへの教育放棄をして家出をしたほどだったとか。

そして、中学2年の時

野球の練習しか行かず、学校に通わない長男を見かねたお母さんが、本人の目の前で監督に連絡を入れます。

安部敏樹さんにしたら、困窮した家庭で、自分の野球費用は出ないだろうと、バイトして通っていた硬式野球クラブです。

このうえ、大切にしている野球まで…とカッとなったんでしょうね

お母さんをバットで殴って、ケガを負わせてしまいます。

それで家にいられなくなった安部敏樹さんは、父方の祖母の家に預けられます。

が、そこにも帰ったり帰らなかったりで、似たような仲間とつるんでは路上生活も経験しました。

安部敏樹さん

その頃は、本当に一人ぼっちでした。親も友人も先生も自分を疎む。だからこそ、僕は自分だけは自分のことを嫌いにならないぞと決めたんです。

誰も自分を認めてくれないなら自分が自分を好きになる、そう思える行動をとろうと思うようになったそうです。

おそらく、とっさのこととはいえお母さんにケガをさせた事実は、安部敏樹さんに大きなショックを与えたんでしょうね。

みっともなくてもいいけど、ダサいのだけはやめようと考え始めます。

夢中になって、真面目にやって、みっともないのはいいじゃないか、だったらなんでもチャレンジして場数を踏めば、本当の意味で強くなれるのでは、と思うようになった

「ドラゴン桜プロジェクト」と「ノブレス・オブリージュ」

中学から不登校だった孫を心配した祖母が「中高一貫校の補欠枠」を探してくれ、学習院高校に進学。

そのせっかく入学した高校も三年生まで仮進級で在籍していただけ、成績は当然学年最下位でした。

君はどこにもいけません。評定平均1.8しかありません

と先生からホームルームで宣言される始末でした。

しかし、そのホームルームがきっかけで、東大を目指す漫画『ドラゴン桜』と似た偏差値を面白がった友人や担任が

じゃあ東大目指せよ!

「ドラゴン桜プロジェクト」を立ち上げ、ユルく見守って応援してくれました。

その結果、1年間合格した横浜国立大学に通い、翌2007年、念願の東京大学文科Ⅱ類に合格!

自分は、本当に運が良かった。結局僕は人との出会いの面で恵まれていた。

と、振り返る安部敏樹さん。

安部敏樹さん

この頃から自分の中の空っぽだったバケツに、どんどん愛情が満たされていくのが実感できたんです。世の中の見え方が急に変わっていった。

この体験の延長線上に「リディラバ」創設があるそうです。

大学に入学し、在籍した「法と社会と人権」の川人ゼミで「ノブレス・オブリージュ」という言葉と出逢います。

「ノブレス・オブリージュ」
恵まれた環境にある人達、あるいは能力的に優秀な人達、金銭的にも立場的にも恵まれた人間というのは、その分を社会に還元しなければならない。より社会を変えていく責任がある「高貴な義務」という考え方。

ノブレス・オブリージュを実現しなさい。君達はエリートだから

最初は「みんな自分がいちばんカワイイでしょうよ」とその言葉に対し、ただ懐疑的だった安部敏樹さん。

貴族社会に長らくあった考え方では世の中が良くならないから、もっと別の形の組織を作った方が良いのではないかと考えだします。

そして、「バカバカしいことが好きな人」という名前ではじめた会社「リディラバ」という組織。

安部敏樹さんは、大学時代にマグロ漁師をしてオーストラリアの海に潜り、仕事で得た収入をリディラバの資金にしています。

10代から苦労してきた安部敏樹さんは、「やる」って決めたらとことん努力して、やり遂げることができるタイプでした。

安部敏樹さん

そういった経験を振り返ると、「本気を出して突き抜けた成果を出す」みたいなことは人よりも得意だったんだと思います。目立つことも好きでしたしね(笑)

21歳で「リディラバ」を立ち上げ、軌道にのってきた4年後に法人化。

学生のボランティア団体から始めた組織は、社員に同じ熱意や行動を求めた結果、無意識にいろんな人を傷つけてしまったそう。

すぐに人を理詰めしてしまう安部敏樹さん

  • なんでできないの?
  • なぜこんなことも分かんないの?
  • どうしてそんな意味不明な方向へ突っ走ってしまうの?

等々とメンバーにいわゆる「パワハラ」めいた発言を無意識にしてしまっていたそうです。

その結果、社員に

正直言って、皆安部さんが言っていることの1割も理解してませんよ

と指摘され、愕然としたそうです。

せっかく大手企業から転職してくれた優秀な人材も「君とは合わないね」と翌日に辞表を出されたことも。

20代半ばは「なんでこんなにうまくいかないんだろう」と失敗続きだった安部敏樹さん。

あるひ、学生インターンとして来ていた学生に

安部さんって、白馬の王子様を待っているタイプですよね。そんなの絶対来ませんよ

とはっきり言われてしまいます。

その一言で目が覚めた安部敏樹さん。

いつまでもこない理想の人にイライラするより、まわりにいてくれる人を大切にしようと考えが変ります。

冷静になって振り返ると、自分の回りは優しい人しかいなかったことに気付きます。

幹部が突然辞めてしまった時も、あるメンバーに

安部さん、私たちも一斉に辞めてしまうって思っているでしょう? 大丈夫です、ちゃんとここにいますから。明日からもう一回立て直しましょう

辞めてしまった幹部も、もとはといえば、会社や自分のことを思って頑張ってくれていたのに…と思ったそうです。

そして、その経験から「自分を変えるんだ」と決めました。

  • 目の前にいる人を信じて疑わないこと
  • 目の前の人を信頼すること

その変化を感じ取った社員からは「最近、優しくなりましたね」と言われるようになったそうです。

現在、家族とは…?

複雑な家庭環境で、早くに勘当同然だった安部敏樹さん。

その後、ご家族とは音信不通なんでしょうか…?

まず、小学校低学年から不登校となってしまった妹さん。

兄として、妹のために良かれと思ってしたことを反省しているそうで…

安部敏樹さん

自分の立ち直っていった経験から、逆に厳しい言葉を投げかけてしまってたことはとても反省している

妹さんは、その後大学のセンター試験を受験し、3浪して大学に進学したことがわかっています。

案外、厳しい言葉の中にあるお兄さんの気持ち、伝わっていたかもしれませんね。

そして、かつて所属していた野球チームで監督をしているという安部敏樹さん。

チームが解散するというのを聞き、唯一の居場所だったところを失くしたくなくて、勢いで引き受けたんだそう。

かつて、安部少年の心の拠り所だったチームの監督…そしてチームの総務係は、なんとお母さん!

今思うと、あの頃にふと母の部屋に入ったら、不登校や家庭内暴力とかそういうたぐいの本が山と積んであったのを見たことがありました。

お母さんが、不登校や家庭内暴力といったことを勉強するため、本を読み漁っていたんですね。

その膨大な本の量に、安部敏樹さんは「ちょっとびっくりした」と言っています。

お母さんなりに、息子の気持を理解してなんとか更生させたいと願っていたんでしょうね。

ご両親を紹介するエピソードに、お見合いから結婚に至った裏側の話というのがあります。

うちの両親は見合い結婚なんだが、母がなぜ父を選んだかというと、見合いの日に父が「レディーファースト」を徹底してて感動したから。

と、一瞬「お父さん、若いころはスマートでステキな紳士だったんだな」と思いそうですが…

安部敏樹さん

実は父親は履いていたズボンが破れており、それを気付かれないように母親を先に歩かせてただけ。
父のズボンが破れてなければ、私は存在していない。

と、お茶目ななれそめを披露しています。

お父さんだって、お母さんに悪く思われたくない一心だったんですよね。

そんなこんなで、いまはお正月に集まる仲良し家族へと変貌したそうです。

年月を経て、それぞれに立場が変わってわかることもありますよね!

今は(母と)週1で一緒に酒を飲んだりしてます。勢いでケンカもしますよ。

笑って話せる過去にできて、なによりです。

安部敏樹さん、生い立ち簡略説明
出典:https://x.com/toshikiabe

恥多き人生!今度も沢山転んで沢山チャレンジするよ!

いま、ひざを抱えて「人生詰んだ」と打ちひしがれている人たちにとって、これほど響く言葉もないでしょう!

まとめ

今回は安部敏樹に妻はおらず未婚の可能性が高い…壮絶な生い立ちもまとめた!

という事で、安部敏樹さんの結婚や子供、生い立ちついての記事をお届けしました。

  • 安部敏樹さんに結婚に関する発表やコメントは見当たらず、プロジェクトや仕事にまい進していることから、未婚の可能性は高いと思われます。
  • 安部敏樹さんは未婚で独身、そのためお子さんもいません。ですが、自身の幼少期のことから子供の将来に関するプロジェクトを多く手掛けています。
  • 安部敏樹さんは不登校→家庭内暴力→非行と幸せとは言えない幼少期を過ごしてきましたが、まわりの人に恵まれ、本人の「やる」と決めたことをやり遂げる努力もあいまって、現在の地位を確立してきました。

以上の内容がわかりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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