清純派の代名詞として60年以上も第一線に立ち続けている俳優の松原智恵子(まつばら ちえこ)さん。

その私生活を50年にわたって支えたのが、週刊誌記者の夫でした。
金婚式を目前にした2022年、その夫を突然亡くされています。
今回は松原智恵子の夫・黒木純一郎の死因は脳炎!娘はいる?東大病院の医師になった息子も調査!
という事で、松原智恵子さんの結婚や旦那さん、お子さんについて調べた情報をまとめました。
松原智恵子のプロフィールと日活三人娘としての歩み
まずは松原智恵子さんの経歴を振り返っておきましょう。
- 名前:松原智恵子(まつばら ちえこ)
- 生年月日:1945年1月6日
- 出身地:岐阜県揖斐郡池田町
- 身長:157cm/血液型:O型
- 実家:名古屋市でアパート・旅館・銭湯を経営
「ミス16歳コンテスト」から日活の看板女優へ
きっかけは高校生のときに入賞した「ミス16歳コンテスト」でした。
1960年に日活へ入り、翌1961年に映画デビューを果たします。
吉永小百合さん、和泉雅子さんとともに「日活三人娘」と呼ばれる看板女優になりました。
夫となる男性と出会った1967年には、ブロマイド売上げの女優部門で1位に立っています。
1969年の『恋のつむじ風』では初の単独主演も務めました。
1971年に日活が一般映画の製作を中断すると、活動の場をテレビへ移していきます。
受賞歴と2026年現在の活動

キャリアを重ねてからの評価も高く、受賞歴が並びます。
- 2012年 日本映画批評家大賞 助演女優賞(『トテチータ・チキチータ』)
- 2016年 毎日映画コンクール 田中絹代賞
- 2016年 ソチ国際映画祭 主演女優賞(『ゆずの葉ゆれて』)
2022年には22年ぶりの朝ドラとなる『カムカムエヴリバディ』に出演。
2026年2月には映画『宮古島物語ふたたヴィラ かんかかりゃの願い』の公開も控えています。
81歳になった今も、現役の俳優として走り続けているんですね。
この長い女優人生を、そばで見守り続けた人がいました。
松原智恵子の夫はジャーナリストの黒木純一郎
松原智恵子さんが結婚したのは1972年、27歳のときでした。

『女性自身』を支えた大ベテラン記者
夫の黒木純一郎(くろき じゅんいちろう)さんは1941年生まれ。
早稲田大学に7年間在籍したのち中退しています。
編集プロダクション「早稲田編集企画室」を立ち上げ、記者として歩み始めました。
『女性自身』の最長寿企画「シリーズ人間」に第1回から参加した中心人物です。
瀬戸内寂聴さんの法話連載も、立ち上げからずっと担当していました。
海外への渡航は400回以上、著書に『南の島へ行きたい ミクロネシア旅する本』などがあります。
ジーンズとボタン3つ開けのシャツで現れる型破りな記者
取材現場での姿は、およそ堅苦しさとは無縁だったそうです。
ジーンズに胸のボタンを3つ開けたシャツで、ひょうひょうと現れる人だったのだとか。
高僧を取材した際には、小指を立てて「相変わらず遊んでますか!」と切り出したこともあります。
凍りつきそうな場面ですが、高僧は大笑いして取材は和やかに進んだそうです。
信頼関係があってこその挨拶だったんですね。
家では庭の果樹を育てる、とてもマメな夫
自宅での黒木純一郎さんは、まったく違う顔を見せていました。
庭には柿、みかん、ゆず、かぼすの木があったといいます。
たくさん実がなるのは純一郎さんのおかげなのです。みかんの皮、りんごの皮、卵の殻などをとっておいて、木の根元に埋めてくれて……。それで栄養たっぷりなのだと思います。秋の収穫祭は、にぎやかに行います
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103409/
日活時代の友人を呼んで、毎年秋に収穫祭を開いていたそうです。
そして黒木純一郎さんが何より気にかけていたのが、妻の寂しがりな性格でした。
松原智恵子さんは一人でいることが昔から大の苦手なのだとか。
京都での取材中に予定が変わったと知るや、会食を断って急いで帰宅したこともあります。
いま、あの人がウチで一人きりになってしまってるんですよ。若いころから一人でいると寂しがる人で……。だからすぐにでも帰ってあげなくちゃ
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103409/
50年たっても変わらないまなざしが、この一言に詰まっていますね。

仕事場ではひょうひょう、家では超マメって最高の旦那さんじゃない?
松原智恵子と黒木純一郎の馴れ初めは取材現場!母の猛反対も
2人が出会ったのは、意外にも仕事の場でした。
『週刊現代』のインタビュー企画で初対面
初対面は1967年12月ごろ、『週刊現代』の「この人に会いたい」という企画でした。
松原智恵子さんが22歳、黒木純一郎さんが26歳のときです。
私のことをすごく綿密に下調べしてから取材に来ているのだな、と思いました。4歳しか年齢はかわりませんが、彼はとても落ち着いた雰囲気で、いろいろなことをよく知っていました。私の周りにはいないタイプの男性だったのです
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103397/
印象に残ったのは黒木純一郎さんも同じでした。
取材後、それぞれの車で走っていたところ、なぜか並走することになったそうです。
こちらがちょっと前に出ると彼女は抜き返してくる。けっこう気が強いんですよ。僕も運転には自信があったから、抜きつ抜かれつで、だんだんレースみたいになって。面白い女性だな、と思いましたよ
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103397/
初対面の日にカーレースを繰り広げたというのですから、面白い出会いですよね。
真鶴の海で見せた「わが身をかえりみない」行動
その後は着物メーカーの宣伝など、一緒に仕事をする機会が増えていきます。
グループでプールや海に出かける仲にもなりました。
転機は1970年夏、神奈川県・真鶴の海での出来事です。
純一郎さんのグループの1人が海で溺れてしまったんです。波も高くて岩にぶつけられてしまう危険もありました。誰も動けなかったのに、純一郎さんはわが身をかえりみず、海に飛び込んで、その人を助けてくれました
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103397/
この姿を見て、松原智恵子さんは将来を考えるようになったといいます。
母の猛反対を押し切って京都・六角堂で挙式


ところが2人の結婚には、大きな壁が立ちはだかります。
俳優仲間からは「身のほどを知って身を引くべき」という電話が黒木純一郎さんに入りました。
松原智恵子さんの母・君子さんも猛反対だったそうです。
「智恵子は芸能人とは結婚させない。きちんとした実業家を見つけて交際してほしい」と語っていたほどでした。
それでも松原智恵子さんの気持ちは揺らぎません。
正直、収入のこととか何も考えていなかったですね。結婚は、お金がどうとか、地位がどうとかではなく、“誰とするか”ではないでしょうか。純一郎さんも何度も私の実家に足を運んで、家族の説得にあたってくれました
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103397/
2人が京都の六角堂で式を挙げたのは1972年9月23日でした。
入籍は同年8月23日だったと伝えられています。
初対面の取材で「27歳までに結婚したい」と語っていた願いが、そのまま叶った形ですね。
新婚旅行は17カ国・100日間のサハラ砂漠横断


挙式から4日後の9月27日、2人は新婚旅行へ旅立ちます。
イギリスから始まり、ヨーロッパ、スペイン、サハラ砂漠、そしてトルコへ。
17カ国・約2万キロを、100日かけて車で走り回ったといいます。
黒木純一郎さんがシルクロードの本を書くための取材旅行を兼ねていました。
サハラ砂漠では大雨に遭い、地図にない川に流されかけたこともあったそうです。
命がけの新婚旅行が、2人の絆をより強くしたのでしょうね。
この旅を皮切りに、夫婦で訪れた国は生涯で47カ国にのぼりました。
松原智恵子の夫・黒木純一郎の死因は脳炎だった
2022年2月16日に脳炎のため80歳で急逝
結婚50年の節目を迎えた2022年、夫婦を突然の別れが襲います。
健康に人一倍気を配っていた矢先の出来事
黒木純一郎さんは、妻より1日でも長く生きるために体を整えていました。
- 1カ月ほど入院して脊柱管狭窄症の手術
- 続けて白内障の手術
- 知人の医師から酸素ボンベを送ってもらい酸素吸入
- 心肺機能を高めるためのウォーキング
生前の黒木純一郎さんは、こんな言葉を妻に伝えていたそうです。
あなたを一人で残していくのは本当に心配だ。だからきちんと看取って、あなたを送ってから僕もいくよ
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103409/
ところが2022年2月、白内障手術後の眼鏡を作りに出かけた先で突然倒れてしまいます。
仕事で埼玉県川口市を訪れていた際の出来事だったとも伝えられています。
自ら救急車を呼び、長男には延命治療を断ると告げた
驚くのは、そこからの黒木純一郎さんの行動です。
自分で救急車を呼び、病院に着いてからは自分で長男に電話をかけました。
そして駆けつけた長男に、延命治療はしないとはっきり告げたそうです。
松原智恵子さんが病院に到着したときには、すでに昏睡状態でした。
そのまま1週間眠り続け、2月16日に息を引き取ります。
くしくも前日発売の『女性自身』には、長年担当した連載の最終回が載ったばかりでした。
死因の脳炎とはどんな病気か


死因が脳炎だったことは、松原智恵子さんが2022年12月26日放送の『徹子の部屋』で語っています。
脳炎は脳に炎症が起こる病気で、大きく2つに分けられます。
- 感染性脳炎…ウイルスや細菌などに感染して脳に炎症が起こる
- 非感染性脳炎…免疫が誤って自分を攻撃して脳に炎症が起こる
ただし黒木純一郎さんがどちらだったかまでは公表されていません。
直前まで元気そのものだっただけに、あまりに急な別れでした。
松原智恵子が夫へ贈った「感謝状」
看病らしい看病ができなかったことを、松原智恵子さんは悔やんでいます。
それでも『女性自身』のインタビューでは、こう締めくくりました。
出会う前は、世の中のことをあまり知らなかった私ですが、あなたといっしょになったおかげで、いろいろな経験ができたのです。純一郎さん、私に素敵な世界をたくさん見せてくれて、本当にありがとう
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103409/
コロナ禍が明けたらハワイへ、という約束は叶いませんでした。
それでも47カ国をともに旅した50年は、何より豊かな夫婦の時間だったはずです。
松原智恵子に娘はいない!一人息子は東大病院の医師
お子さんについても調べてみました。
「女優の娘がいる」という噂の正体
ネット上には「松原智恵子さんには女優の娘がいる」という話が流れています。
ですが調べてみても、松原智恵子さんに娘さんはいません。
お子さんは1984年生まれの長男が一人だけです。
この噂は、若手女優と親子役を演じた作品や、共演女優との写真が混同されたのが原因と言われています。
ただ、その説明自体に確かな裏付けがあるわけではありません。
いずれにしても娘さんがいるという事実はありませんので、その点は安心してくださいね。
39歳での出産と、仕事を最優先にしなかった子育て


長男が生まれたのは結婚から約12年後、松原智恵子さんが39歳のときでした。
当時としてはかなりの高齢出産です。
この妊娠中に、生涯でただ一度だけ夫に叱られたエピソードがあります。
それでもいつもどおり撮影現場に行こうとしたら純一郎さんが、「そんなに無理をしてまで、仕事をする必要はないよ!」って。いつもは仕事に口を出さない彼が、私の体を心配して怒ってくれたのです
引用:https://jisin.jp/entertainment/interview/2103409/
松原智恵子さんが仕事を休んだのは、女優人生でこの一度きりだったそうです。
10か月の育休を経て復帰したあとも、長男が最優先でした。
運動会や参観日といった学校行事には、すべて参加したといいます。
保護者会にも出席し、当時のママ友とは今も定期的にランチ会を開いているそうです。
高1で英国留学、慶應医学部を経て東大病院へ
長男の歩みは、かなり異色です。
- 高校1年生のときに突然イギリス留学を宣言
- ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校へ進学
- 帰国後に慶應義塾大学医学部を卒業
- 東京大学医学部附属病院の内科医局に勤務
突然の留学宣言にも、松原智恵子さんは反対しなかったそうです。
ご自身も10代で上京した経験があるからですね。
世界を飛び回る父の姿も、少なからず影響していたのではないでしょうか。
倒れた父が真っ先に電話をかけた相手が長男だったことにも、信頼の深さが表れています。
なお、ネット上には長男の実名とされる情報も出回っています。
ただ、松原智恵子さん本人が公表したものではなく、顔写真も公開されていません。
一般の方ですので、身元の詮索はここまでにしておきましょう。
ちなみにお孫さんについては、2016年の『徹子の部屋』出演時に「いない」と話していました。
その後の続報も出ていませんので、現在も同じ状況とみられます。



高1で「イギリス行く」って言い出す子、すごい行動力
松原智恵子の夫の死因は脳炎で娘はおらず息子は東大病院の医師!
今回は松原智恵子の夫・黒木純一郎の死因は脳炎!娘はいる?東大病院の医師になった息子も調査!
という事で、松原智恵子さんの結婚や旦那さん、お子さんについての情報をまとめました。
- 夫は『女性自身』などで活躍したジャーナリストの黒木純一郎さん
- 馴れ初めは1967年の取材現場で、初対面の帰りにカーレースを繰り広げた
- 母の猛反対を押し切って1972年に結婚し、新婚旅行は17カ国100日間
- 黒木純一郎さんは2022年2月16日に脳炎のため80歳で急逝
- 娘はおらず、子供は1984年生まれの長男が一人だけ
- 長男は英国留学と慶應義塾大学医学部を経て東大病院の内科医に
以上の内容がわかりました。
47カ国を一緒に旅した夫の優しいまなざしが、今も松原智恵子さんを支えているのでしょう。
スクリーンで輝き続ける姿を、これからも見守っていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
