元プロボクサーの村田諒太(むらたりょうた)さん。

アマチュアとプロのリングで世界の頂点を極めたボクサーの村田諒太さん。2012年ロンドン五輪で48年ぶりの金メダルを獲得し、17年にはWBAミドル級王座に。2023年3月に現役を引退しています。
今回は村田諒太の妻・佳子の顔画像がこちら!離婚や不倫騒動に子供も調査!
という事で、村田諒太さんの結婚や相手の奥さん、子供について情報をまとめました。
村田諒太の妻・佳子が美人!
村田諒太さんは2010年5月結婚。
具体的な入籍日はわかっていません。
まずは村田諒太さんの結婚相手についてわかっている情報を見ていきましょう。
村田諒太の結婚相手の顔画像や名前、職業は?
村田諒太の結婚相手は、壇蜜に似た年上の姉さん女房
村田諒太さんの妻・佳子さんがテレビに顔を出したのは、ロンドンオリンピックがきっかけでした。

金メダルを期待される選手だった村田諒太さんは、密着取材などを受け「時の人」として注目されます。
もちろん、試合会場に駆けつけ夫に声援を送る妻・佳子さんも同様。
取材に対し、村田諒太さんの出身高校・南京都高校の関係者からの寄せ書き日の丸を手に

勝ち進んで上の色(のメダル)を目指してほしい。試合を楽しんで
とコメントするなど、熱心に夫の夢を応援していました。
念願の金メダルを獲得した時は「本当に嬉しいです」と涙し、表彰台の夫を見守る姿が印象的でした。


そんな夫婦の姿をみた視聴者から、



村田諒太選手の奥さんて、壇蜜さんに似た美人だね!
と話題になりました。


確かに、黒く長い髪と華奢で白い肌というフォルムからも似てるかもですね。
そんな佳子さんのわかっているプロフィールは
・村田佳子(むらたよしこ)
・43歳(2025年現在・生年月日は不明)
・村田諒太さんの4つ年上
・京都出身
・結婚前の職業は東洋大学職員
当時は1歳前後の子どもを抱え、夫をサポートしながらオリンピック会場にも駆けつけています。
以上の点から、結婚した当時は専業主婦になっていた可能性も高そうですね。
献身サポート
2008年の北京五輪出場を逃した際に、一度競技生活を引退した村田諒太さん。
その時の夫の様子を
食事もろくに取らず、抜け殻のような毎日だった。本当にこの人はボクシングが好きなんだと思った
と佳子さんは振り返っています。
2009年に、コーチをしていた東洋大ボクシング部の不祥事が発生。
2009年の東洋大ボクシング部の不祥事とは
東洋大ボクシング部(元)部員が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕。
これによりボクシング部は活動自粛、関東大学リーグ1部から3部への降格処分を受けた
この時に
- コーチであったのに、不祥事を止められなかった自責の念
- 全日本選手権で優勝という成績を残すことでボクシング部の名誉回復につなげたい
との思いから、現役復帰を果たします。
この決意も佳子さんは支持し、前向きに頑張って欲しいと願いを込めてあるものを冷蔵庫に貼りました。


五輪で金メダルを取りました。ありがとうございます
これは、佳子さんがお母さんから



願い事は文字にして、いつもみていると叶いやすいよ!
と教えてもらっていたことだそうです。
これに対し



いいね!
と応えた村田諒太さん。
復帰後は
- 仕事の後に猛練習
- 帰宅が遅く、不規則な生活
- ボクシングノートを付け始める
- 練習内容や自分の身体の研究
など仕事とボクシングの両立に本気で取り組んでいくようになりました。
夫のそんな姿を「世界の壁を越えるようにと、自分なりに思いがあったと思う」と見守った佳子さん。
食事のバランスを気遣ったり、休日は自然に振る舞ったり…とサポート役に徹しました。
その一例として、テレビ「Get Sports」の密着企画「G-London」で金メダル有望選手として取材された回。
心の支えである家族の紹介と共に、食事の献立が注目されました。


この日のメニューは
- トマト煮込みロールキャベツ
- ほうれん草のおひたし
- サラダ
と、野菜とタンパク質がたっぷり摂れる、アスリートの体調管理をちゃんと考えたものだそうです。
体重管理など厳しい競技ですもんね。
そして2012年のロンドンオリンピックで日本人選手として48年ぶりの金メダルという快挙!
コメントを求められた佳子さんは



この4年間の苦労が思い出され、努力すれば夢がかなうと思った。
今日は笑顔が見られてよかった。私は本当に最高に幸せです
と目を潤ませました。
村田諒太さんも、家族への感謝の言葉を忘れませんでした。
特に、佳子さんの魅力は



芯が強いしっかりした人
と語っています。
妻の内助の功なくして金メダルはなかったかもしれませんね!
炎上さわぎ
内助の功が実を結び、「いい奥さん」と思われた佳子さんですが、一時期バッシングを浴びて炎上する騒ぎがありました。
その理由は
- 出しゃばりすぎ
- 人の目を気にしなさすぎ
ということだったようなんですが…
オリンピックで夫を声援する姿から、あちこちで取材を受ける機会の増えた佳子さん。
帰国後のテレビのオファーもあり、佳子さんひとりで出演することもありました。
佳子さんにしてみれば、「夫のためになる」ことと思っていたかもしれません。
が、夫の金メダル獲得後に突如として目立つようになったことに違和感を感じた人が多かったよう。
横断幕がデカすぎ、応援がウルサイ
コレですね➡


が、これは最初にも触れたように、村田諒太さんの母校の関係者が寄せ書きしてくれたものです。
佳子さんにしてみれば、「私だけじゃないよ!みんな応援してくれているよ!!」と言いたかったでしょう。
せっかく送ってくれた方達のためにも、いっぱいテレビに映してあげたかったでしょうし。
「応援がウルサイ」というのも、開催国はロンドンですから、来たくても来れなかった関係者も多いはず。
その人たちの分も届けたいと思うだろうし、世界一を懸けた一生に何度もない晴れ舞台、そりゃ大声も出ますって!
ちなみに、冷蔵庫の貼り紙も「プレッシャーがエグイ」と不評を買った模様です。
今では「引き寄せの法則」と言って、
・願いが明確になる
・意識のアンテナが立つ
・行動が変わる
成功に導くメソッドとして確立された行動なんですけどね…
夫の手柄でいろいろ出しゃばりすぎ!
オリンピックでの注目度から、帰国後にもテレビ番組出演のオファーがたくさんあった佳子さん。
さらに金メダルを獲得したことから、園遊会にも夫婦で出席したことを批判する声があったようですね。


そもそも天皇・皇后両陛下主催の園遊会は夫人同伴なのが正式なので、何の問題もありません。
まぁ「本人だけでいいだろう」という声なんでしょうが、ノーベル賞を受賞された方も夫婦で出席されてましたよねぇ…
そして
取材陣がいるところですること?
と批判されたのが、夫婦のキス場面。


これに関していえば、カメラが気を利かせて遠慮すればいいのに…って話じゃないですかね?
それくらい苦楽を共にして、喜びを分かち合える存在だってことでしょうに。
さすがにバッシングが目に余ったのか、テレビ番組で語る佳子さんについて



出すぎ。陰で支えた話を表に出てすると美談じゃなくなる
とメールで注意したそうで、以降テレビ出演はぱったり激減したそうですよ。
おそらく、佳子さんも「はっ」としたんでしょうね。
こんな一面も…
村田諒太さんがアマチュアからプロに転向するまでの葛藤をテレビで語ったことがありました。
最初はアマチュアボクサーのまま引退するするつもりだったそうです。
それが
- チヤホヤされたり、周囲から評価された
- 体力的にもうちょっとイケる
- 金メダルを取ったような成功体験をもう一度味わいたい
などの意識から現役続行を希望したら➡「ダメだ」と言われた
だったら後進の指導と英語の勉強で海外留学したい➡職場の返事は「NO」
選択肢のひとつとして「プロに転向しようか」と佳子さんに相談したら



絶対に駄目
と猛反対され迷っていました。
そんな中、NHKの番組収録で母校・奈良市立伏見小学校を訪れ、6年生と2日間過ごし
五輪で金メダルを取ってプロ転向してラスベガスでやる
という昔の自分の夢を思い出しました。
収録を終えて、佳子さんに



もう1回自分の夢を追いかけたいからプロに行きたい
と言ったら許してくれたんだそうです。
おそらく佳子さんは夫をちゃんと見ていて、消去法ではなく「意志」として決意して欲しかったんでしょう。
村田諒太さんも
たぶん妻は最初に相談した時はプロ転向の理由がアマチュアで現役続行できない、留学できないというネガティブな理由だったから駄目と言ったんだと思う。明日に向かっていくもの、次に向かうパワーが理由になったから許してくれたのだと思うので感謝している
とコメントしています。
このことから、佳子さんの行動は、すべて村田諒太さんへの愛情へ繋がっていることがわかります。
明るく朗らかで、愛情深い、まさに「良妻賢母」なイメージの方なんじゃないでしょうか?
村田諒太の不倫騒動や離婚の噂も調査!
村田諒太の不倫騒動は妻と不倫相手の三者面談で解決済み⁉
村田諒太と結婚相手の出会い、馴れ初めは?
オリンピックを目指すボクサーだった村田諒太さんと、東洋大学で職員をされていた佳子さん。
村田諒太さんは東洋大学を卒業後そのまま大学へ就職し、大学職員をしながらボクシング部のコーチを務めます。
交際のきっかけは、2008年の職場の飲み会。
何度か一緒に飲む機会を重ねるうちに、交際へと発展したそうです。
プロポーズはバレンタインデーにヘリをチャーターして、東京の街並みを一望しながら…というロマンチックなもの!
ところが、実際はヘリコプターのプロペラ音が大きすぎて、佳子さんに伝わらず…
結局、地上に降りてから再度プロポーズを仕切り直したそうです。
そして2010年5月にめでたく結婚されました。
不倫報道とその結末
2024年の2月と4月に、不倫相手との「バレンタイン密会」などを週刊誌に報じられます。


この報道で言われている内容は
- 不倫相手は10年来の知り合いで、関西出身の40代、松嶋菜々子さん似のA子さん
- お互いに子どもがいるので、平日の日中に逢瀬を重ねている
- バレンタインデーの昼過ぎに自宅からA子さんのマンションへ向かう姿をスクープ
- A子さんとつき合う前にも別の不倫相手がいて、周囲に平然と紹介するなど“公然の秘密”
- 2018年の防衛戦を前に、ヤキモチからA子さんに大怪我をさせた
- A子さんに対する、ヤキモチからのDVの数々
- 報道の三年前、A子さんから切り出した別れ話に泣いて「別れたくない」と拒否
- A子さんの愛犬は、2023年のクリスマスに2人で飼いはじめた
などなど…
村田諒太さんの関係者も



責任ある立場の彼が不倫を続けていることに、周囲は気を揉んでいるんです
と、ふたりの関係を危惧していたくらいだったようです。
事実関係を求められた村田諒太さん、佳子さん、A子さん(村田諒太さんを通じてコメント)はそれぞれ



相手との関係については、すでに妻も含めた三者間での話し合いにより解決済みであり、妻にも深く謝罪し、受け入れてもらっています



夫から謝罪があり、私も受け入れています



ご迷惑をおかけしましたが、話し合いのうえですでに解決しています
とコメント。
不倫相手からも「話し合いで解決」としているところから、「解決済みの話」という印象で落ち着きました。
その後
ところが、報道から2か月後、A子さんサイド(親友・B子さん)から追加暴露。
A子さんのコメント『話し合いのうえですでに解決しています』は村田さんのコピペ指示によるもの。



これを送ってくれたら、2月26日に会ってきちんと今後を話し合う
と約束したのに、次の日には反故にした。
三人での話し合いのあと、A子さんの着信を拒否していた村田諒太さん。
そのくせ、自分からA子さんに連絡して『妻が籍抜いてくれたほうが楽やんな』と話す。
そうかと思えば弁護士を通して「犬の飼育代」という名の手切れ金1,000万円を払う代わりに交際解消を迫ったり
A子さんが断る➡提案が続く➡A子さんが決断を悩む
この繰り返しの末、村田諒太さん側から破棄されたそうです。
二転三転する態度にB子さんはA子さんに会話の録音を提案。
その結果、泣きながら「大好き」「絶対いつか戻ろう」と話す村田諒太さんの音声が確認されています。
週刊誌がB子さんの告発の事実確認をA子さんにしたところ



詳しくはお話しできませんが、記録が残っているものはそのとおりだと思います
と、否定しなかったそうです。
一連の告発を村田諒太さんに直撃すると
・A子さんを蹴った事はない
・報道後、電話はしたが交際継続はあり得ない
・手切れ金も渡していない
・すべて弁護士を通している
ちなみに、代理人弁護士に送った質問状に回答はなかったそうです。
10年ちかく交際した事実に、「痛み分け」と考え



自分自身も十字架を背負って生きていかなければ
と話していたA子さんですが、一方的に悪者扱いされる状況にショックを受け、精神科に通っているそうです。
週刊誌の内容は、一方の立場から構成されるものがほとんどなのでどこまで事実と認定できるかわかりません。
が、村田諒太さんは幼い頃、離婚後も同居していた両親、家庭に育ち



崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった
と語っています。
また、2019年の週刊誌の取材にも
不器用でもいいからボクシングを追いかけて、家族との生活を守りながら、生きていくだけ。社会に対する自分の存在意義って、そこだと思いますから
一番に大切にしたいのは、「家庭」だったはずだと思うんですよね。
ただ、2024年5月に参加した講演会でのエピソードが気になりましたので紹介します。
司会者との事前打ち合わせの時、写真週刊誌の「不倫疑惑」の件が出ていることに触れ



その件について聞いてくださったら答えますよ
と答えていたそうです。
主催者のおめでたい雰囲気を壊したくなかったのと、シンポジウムには関係ない話題だったので司会の方は触れませんでした。
が、司会者の方は「男らしい方だなぁ」と言う印象を持ったそうです。
どちらか一方の話を聞くだけの立場だと、結局何がどうなのかわからない…と言うことでしょうか?
村田諒太の子供情報もまとめた!
村田諒太には息子と娘の子供が2人
村田諒太さんは、2人のお子さんを持つパパで、大変子煩悩で有名です。
- 2011年5月生まれ(中学2年 14歳)長男・晴道くん
- 2014年5月生まれ(小学5年 11歳)長女・佳織さん


結婚してすぐに生まれた長男・晴道くんはオリンピック当時1歳3ヶ月でした。



諒太は子どもに夢中。息子が生まれ、どんどん男らしくなった
と佳子さんが言うように、トレーニング漬けの村田諒太さんの癒しは、息子との時間。
- ご飯を食べさせる
- お風呂に入れる
- 寝かしつける
のをすすんでこなしていたようです。



趣味も仕事もボクシングで、ほかにあまり興味はないんですけど、子どもと一緒の時間は格別ですね
と言うメロメロっぷりです。
2014年に長女・佳織さんが誕生した時は『ベスト・ファーザー イエローリボン賞』を受賞。


受賞後に受けたインタビューで、子供に対する愛情について聞かれた村田諒太さん。



子供に対する愛情って、自分の記憶なんだなって思うんです
その気づきがあったのは晴道くんが3歳の時のこと。
当時の晴道くんはどこに行く時も「抱っこして」星人。
片方の手で荷物を持っていて「抱っこ出来ないよ」と言い聞かせても「もう歩けない」としゃがみ込んでしまいます。
仕方ないなと思って息子と荷物を抱えて帰る羽目になるが、「嫌だな」とは思わない。
“あっ、俺も父親によく抱っこをせがんでたな”っていう記憶があって、父親は泣きじゃくる俺をよく抱っこしてくれていたんです。子供に接することで親父から愛されてたんだなって思える。
だから自分でも「してあげよう」って自然となるんだそうですね。
2016年には自身のSNSにて
訳あって本日、子供の面倒を終日みています。
と投稿。
妻・佳子さんが



息子がすごく成長している
というのを「どこがやねん、甘えまくっとるやんけ」と思っていた村田諒太さん。
が、甘えるのはパパがいるからで、そうでない時は妹の面倒を本当によくみてくれていることがわかったそうです。
「なんだかんだ、全く面倒みていなかったんだな」と感じたパパ、その気づきがスバラシイです!
闘う哲学者
読書が好きで、本をよく読むという村田諒太さん。
哲学書や心理学、お子さんにも聖書の一説を話して聞かせたりしているようです。
親は子供に、水辺という機会を与えることはできても、頭を押さえつけて水を飲ませることは出来ない
仮に、無理やり飲ませたら、子供はその水辺を嫌いになる。
つまり、
- 親が口を出し過ぎることが子供の嫌いを増やすきっかけにも。物事を嫌いにならないようにサポートする
- 口出しなども含めて、親が子供の世界に入り込みすぎないようにすること
➡今の自分にできるベストを尽くしなさいということ



例えば、全然勉強しない子がいたら親は一生懸命勉強させようとしますよね。でも、子どもが勉強しないことで責任を負うのは誰でしょう? 子ども自身なんです
これは、
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと(あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること)によって引き起こされる
というもので、重要なのは誰の課題なのかを考えるということなんだそうです。
これらの本からは、結局『今の自分がするべきことは何かを探し、今、できることをやりましょうよ』という考えにたどりつくんだとか。



親は、アドバイスはしてもいいが、決して無理強いしてはいけない。
無理強いすると嫌な記憶が残るだけ
子育て、特にスポーツに関することについて取材記者によく相談を受ける、という村田諒太さん。
その的確でブレない「愛ある持論」は定評があり、彼のことを「闘う哲学者」と呼ぶ人もいるようです。
ブレないスタンス
哲学や心理学、聖書を愛読しているだけあって、ブレない持論をきっちりもっている村田諒太さん。
親の役目は子どもに楽しい思い出を残してあげること
基本的に「子どもの自主性」を尊重するタイプで「やりたい!」と思ったことはやらせてあげたいそう。
ある日、家族でファミレスに行った時、野球少年たちが
こんにちは! 村田選手ですよね?
と、村田ファミリーの前を通る時に一礼したことがありました。



しっかり挨拶をする。ああいう人って気持ちがいい。
息子にも野球やってほしいなぁ
そう勧められた8歳の晴道君は、野球教室で体験すると一気に野球にのめり込みました。
村田諒太さんがキャッチャーになり、親子でキャッチボールを愉しむ日々。
パパがいる時のみという条件付きで、自宅では発泡スチロールのボールでトスバッティングという徹底指導。
他のスポーツを見るくらいなら、息子の素振りを見ていたいという村田諒太さんと、パパの帰りを楽しみに待つ晴道君。
相思相愛の感じですが、習い事は「自分が決めて始めた事の責任は取れ」というスタンスなんだそうです。
とは言っても、プロ野球選手になれ、めざせというわけではなく



スポーツを通じて人生を豊かにしてほしい。
自分の周りにはいつも笑い合える仲間がいるという大切さに気づいてほしい。
実体験からもきているアドバイスなんでしょうね。
ただし、小学校に上がった際に、泳げるか泳げないかで大きな差が生まれるという事を身をもって経験されたことから水泳は習わせたそうです。
結果ではなく、過程に焦点を合わせる
子供に対し、親の勝手な都合だけで結果を求めることはしない!と決めているそうです。
「子どもがまずはどうしたいか」を一番大事にして、親はそれに対してサポートする。
普段は甘やかしているという自覚がありつつも、何でも褒めることはしないそう。
家族で行った旅館のUFOキャッチャーで、飴が何もないところを一生懸命すくう晴道君。
結果、ゲットした飴は1つ…思わず「何もないところをすくっても意味ないじゃん」と言ってしまったパパに対し



1個でも取れてすごいね!
と褒めた妻に対し「それってなんか違うな…」と思ったそうです。
「なんでも褒めたら、それ以上良くならない」と正しい判断が出来なくなる気がするんだそうです。



チャレンジして失敗するのはいいことですけどね
まぁ、完全否定されても悲しいと思うんで、どちかがフォローというのは悪くないんじゃないでしょうか?ね!
息子との約束
2019年、WBA世界ミドル級王座奪回をかけた試合に、初めて晴道くん(8)を招待。



『絶対勝つよ』と言うとニコニコするんです。だから息子との約束は果たします。何があっても。大丈夫です
王座陥落した際、佳子さんは「辞めてほしい」と現役続行を反対し、お父さんにも体の負担を心配されました。
そんな中、長男・晴道くんだけが
「もう一回負けたら辞めていいからね」
と無邪気な「上から目線」の言葉。
1ヶ月近く進退について悩んだ村田諒太さんでしたが
人生を振り返った時に、あのボクシングが集大成でいいのか。後悔したくない。
自分に永遠にうそをつくことはできない
と、いばらの道を歩む決心をします。
それには、晴道君の言葉が「もう一回負けたら辞めていいからね。だからやってよ!」と響いていたそうです。



だから、やって勝つ。それでまた息子に『パパ凄かったろ』って見せてあげたいけど、どうかな…
村田諒太さんは、親としての最大の務めを
親から離れたときに、自立した社会生活を送れる大人にすること
だと思っているそうです。
息子が最期を迎える時、『俺の人生楽しかった。幸せだった。生き切ったよ』って言えるような人生を送ってほしい。
そのためには、まずは「自分自身が生き切ること」そこにフォーカスを当てたい、と。
結果として、不利予想を見事に覆して再びチャンピオンベルトは33歳の世界王者に戻ってきました。
勝利者インタビューの途中、一瞬だけ泣き顔を見せた村田諒太さんですが、リングから愛息に



晴道! 明日からパパといくらでも、野球でも水泳でも行けるからな!
と清々しい笑顔でリングサイドの晴道君へ、マイク越しにメッセージを叫びました。
家族と再会すると、晴道君が「パパ、カッコ良かったよ!」と抱きついてきたそうです。
約束を果たしてホッとした次の瞬間
明日、野球できるの?
と無邪気な疑問を投げかけられたそうです。
まぁ…言っちゃいましたからね(笑)
アスリートにとって試合が終わってからの2、3週間は一番幸せな時間なんだそうです。



緊張感から解放されて家族のもとに戻れる時間。この時間があるからこそ頑張れるので、また次のためにもこの時間をしっかり活用したい」
この幸せの時間を村田諒太さんは、大好きなパンとコーヒーを子どもと楽しむんだそうです。
娘・佳織さんが
パパ、パン買いに行こうよ!
と、デートに誘ってくれるので、コーヒーを買って公園か家かでゆっくり味わうんだとか。
あとは、ぼんやりと息子の野球を眺めているのも至福の時間だそうですよ。
英気を養うのが「家族との時間」っていう言葉、本当だと思いたいですね。
そして、佳子さんが離婚を選択しなかったのも、こういった「父」の姿をいつも見ていたからかもしれませんね!
まとめ
今回は村田諒太の妻・佳子の顔画像がこちら!離婚や不倫騒動に子供も調査!
という事で、村田諒太さんの結婚や相手の奥さん、子供ついての記事をお届けしました。
- 村田諒太さんの妻は、職場が同じだった4歳年上の佳子さん。壇蜜さん似のキレイな奥さまです。
- 村田諒太さんの不倫騒動は、本人・佳子さん・不倫相手とされるA子さんの三者が「解決済み」とコメントした珍しい事例でした。両者の言い分はすれ違いですが、イメージダウンは避けられなかったようです。
- 村田諒太さんは、中学生の長男・小学生の長女をもつお父さん。ポリシーのもと、愛情たっぷりにお子さんに接するイクメンパパのようです
以上の内容がわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。